今日中にどうしても言って置かなければならないこと
明日は明日の風が吹くなどという軽い話ではありません。
これでも一応は坊主の端くれなので
今朝はブッダの話をします。
ブッダは誰に対しても
「友よ」と呼ばれました。
ただそれだけです。
それだけですが、
これは誰にでも出来ることではありません。
何が言いたいか、おわかりですか?
たった百年も経てば
ほぼ全員が死んでいます。
今、生きている人々が死んでいる。
さすれば、知り合った人みーんな
友です。
共に生れ、共に死んでいく仲間です。
ちょっとした見解の相異なんて
とるに足らないこと。
最近、やっと人様のブログを見るようになりました。
いままで、ほとんど人様のは見ておらんかったっちゅうことです。
読んでみて、なるほど、大したものだと。
やはり自分の考えとは違うなあと思いつつも
こういう考え方も感じ方も捉え方も
あるのだと感心しきり。
で、なぜ今日中なのか?
一昨日、右肩をブトに刺されました。
キンカン塗ってあるのですが
左腕に比べて150%の太さになっています。
観音堂の建設現場の周囲は
ほとんど原野と化しています。
マムシに噛まれて死ぬこともあるでしょう。
今日も友(先輩)からダンプを借りて
友(同い年)と共に現場に向かいます。
現地に向かうというより現場に向かうのであります。
いつ死んでも不思議ではありません。
縁起でもあります。
縁りて起る。
この世は神が造り給うたのかどうか知りませんが
この世に生れ死んでいくのは
全てが縁であります。
何かしらの関係性が無ければ
生じることはありません。
出会った人すべてが縁ある人々。
すべての人は友。
自分の好ましい人だけが友ではありません。
好ましくない人も友。
ですが、ではありますが、
やはり
これだけは今日中に言っておきます。
友よ、ありがとう。