軽トラ和尚の旅日記

軽トラの荷台に坐禅堂を積んで走る禅僧の修行

軽トラ和尚の旅日記

ナンテ言ったらいいかな、この感動。

今までも、ブログみてますよーとか、応援しちゃいますよーとか。

本音で、うれしいに尽きる励ましはあったのですが、

なかなかコメントまで寄せて下さる方はいなくて

 

それで、ちょっとメゲたり、やめようかなと思ったり

わかってもらえないよなーこんなこと、なあーんて考えたり

間違ってるんかなーと、正直、振り返ったり

 

でも、でもですね。

やっぱ、みんな一緒なんすよ。

 

求めてるんすよ、ホンモノを。

 

昨日、小林麻央さんが亡くなりましたよね。

理屈抜きに泣いちゃった。

 

母を想い、姉を想い、妻を想い、娘を想い、孫娘を思った時

他人事でなかった。

 

人の死は、生きている人への勇気のメッセージだ。

 

どんなことがあっても、決して負けるな。

生きているだけで、それは修行であり、生きることそのものだ。

そこに何の理屈もない。命。

 

使命というのは命を使うということ。

 

生きながら死ぬことはない。

死ぬほど生きろ。

 

そうした究極のブッダの声が聞こえる。

 

友と、昨日の夜話した。

 

友は、ただ黙って聞いてくれた。

友とはいつまでも対等の立場でいたい。

どちらが上とか先とか右とか重いということはない。

彼には彼の心がある。

 

それでいいのだ。

おれの思う通りに思ってくれなくていいのだ。

小賢しい見解など、あっさり捨てればい。

あるのは、ひとりひとりの「信念」であり「志」なのだ。

 

でも、見解の相違をそのままに

一緒にあたらしい道を目指すっていうのはどうだろう。

それは、全力で応援したい。

全力も大したことはないのだが、

それでも精一杯応援したい。

 

昨日、ビックリしたことは、こんなブログでも

応援してやろうじゃないかという方がおられたことだ。

うれしくて、うれしくて、なかなか眠れなかった。

ブログをやり続けていてこんな嬉しいことはない。

 

いつか、リアルでお会いすることもあるだろう。

縁とはそうしたものだ。

なんて幸せなんだろう。

この感動は、言い尽くせない。

 

「スーパー坐禅」のことにも言及されていた。

あれまでもご覧になっていたとは、恐れ入ります。

教外別伝とか何とか難しい言い回しはともかく

坐禅とか冥想というのは、ええ線いっていますよ。

 

ずいぶんとベンキョウされているんだろうなあ~。

じじいに言わせれば、こだわることは何もないんですが、

それはともかく

やっぱ、黙って坐ることかなあ。

 

とにかく、全部捨てて、捨てられないなら、その捨てるも捨てて

自分なりの生き方っちゅうか何チュウカ、

自由に生きることをオススメします。

そのためには、死にものぐるいの修行も、いいんじゃないすか?

 

そうやって、他人事ではなくて、自分事にすること。

ちょっと偉そうですが、みんな対等です。

だれに遠慮することもありません。

思う存分、生きてみな。

 

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