軽トラ和尚の旅日記

軽トラの荷台に坐禅堂を積んで走る禅僧の修行

軽トラ和尚の旅日記

軽トラ坐禅堂の基本計画

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 昨日の幼稚な絵をご覧になった方には申し訳ないが、ちゃんとキャドも使える(笑笑)ということをお示ししておきたい。

別に自慢するわけではないが、これでも企業戦士として活躍していたこともあったので、ちょっとしたキャドで図面を引くというのは造作ない。割と短時間で「こんな感じ」という図面は描ける。

大事なことはコンセプトである。私はもう第一線で働く気もないので、余生を独立自由の気概で生きていくだけである。この独立自由は、社会に依存しないなどという不遜なものではない。この世に生きている以上少なからず誰かのお世話になっているものだ。

しかしながら、お世話になってばかりでは申し訳がないので、自分ができることで世の中にお返しをしなければならない。カンタンに申せば、報恩である。

私が出来る報恩は、坐禅を勧めることだ。何も考えない時間を作って頂くことだ。これを辻説法ならぬ軽トラ行脚で行じようということだ。

軽トラの荷台に載せた坐禅堂。希少価値というか希少性だ。誰も思いつかないであろう布教方法である。自分では遊行のつもり。誰が何と言おうが、死ぬまでやり続けてみせよう。

いつか誰かが真似してくれたらいい。坐禅は真似から始まる。心配しなくても真の仏法の方から成長を促してもらえる。誠にシンプルな道である。単に示すと書いて禅と読む。

禅とは何かなどと考えないことだ。特別なことは何もないのだから、余計なことを考えても仕方がない。この余計な余分なことを思うから、ややこしくなる。百年も経てば、みんなガイコツになる。竜宮城に遊びに行っている暇はない。

この計画図一枚で設計図は山ほど描ける。だが設計図は書く必要がないほどマイクロであるから、直ちに材料調達にかかって良い。あとは作るのみ。作り出したら、この作業工程をこのブログにアップしていこうと密かに思っている。

全ては記録のためである。自己と他己のためである。

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