軽トラ和尚の旅日記

軽トラの荷台に坐禅堂を積んで走る禅僧の修行

軽トラ和尚の旅日記

観音さまの正体とは?

観音信仰というのが

日本でも千年以上前からありまして

西国三十三ヶ所観音霊場巡拝など

現在でもお参りする人々が絶えません。

 

その御利益(ごりやく)というのがスーパーで

何でも来い、なのであります。

 

病気平癒。

家内安全。

家庭円満。

商売繁盛。

念願成就。

交通安全。

災障消除。

息災延命。

諸縁吉祥。

萬事如意。

上げだしたらキリがないほどの現世利益。

 

これで済まないのです。

極楽往生。

冥利冥福。

死んでからも幸福が続くというのです。

 

これは信仰するっきゃないということで

過去の人々はこぞって信仰しました。

否、現在も理屈抜きでお参りしております。

 

たとえば浅草の観音さん。

大須観音、津観音いわゆる三大観音。

 

世界でも飛び抜けていて

チベット仏教のダライ・ラマ法王は

観音菩薩の生まれ変りと信じられています。

 

信じようが信じまいが信じられているという事実。

この事実に注目なのです。

そんじょそこらの新興宗教など目じゃないのです。

やたらと人気のある仏菩薩なのです。

 

何故か?

 

それをいくらウィキペディアで「観音菩薩」と検索し

数多あるサイトで検索して調べようが

日本中のお寺に聞きに回ったとしても

答えは見つかりません。

 

なぜか?

 

「幽霊の正体みたり枯すすき」

自分の正体もわからないものが、

観音様の正体を見れるはずもなく

わかるはずもありません、が、

 

「観れば自に在る菩薩かな」

観音様は観世音菩薩とも観自在菩薩とも呼ばれます。

呼んでも誰も助けに来てくれないときに

観音様の御名を唱えれば立ち所に

状況が一変するというのです。

 

見えるまま、聞こえるまま、あるがままを

人は見ていませんし、聞いていません。

偏った見解、こだわった考え、とらわれた思いで見ています。

 

ところが、

まっすぐに、

こだわらずに、

何にもとらわれないで

あるがままに観た瞬間に、

(これが観音様の正体なのですが)

状況がいっぺんに変わります。

 

これが信心であります。

自分のこころを信じることです。

 

信じられないなら

何も信じられないなら

信じないということに

こだわっている証拠。

 

小さな子どもが

「かんのんさま」と言えないで

「ののさま」といいながら

モミジのような手を合せています。

 

なあ~んにも考えていません。

そういうまっさらな気持ち。

これが観音様。

あらゆる姿でこの世に現れるといいます。

あらゆる機会に

あらゆる場面で

あらゆる状況で

無心になること。

 

それは

あるがままをみること。

ありのままにみること。

 

余分なところが何もないこと。

余計なことを決して考えないこと。

 

観音の

正体観たり

慈しみ。

 

大慈観音堂。

 

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