軽トラ和尚の旅日記

軽トラの荷台に坐禅堂を積んで走る禅僧の修行

軽トラ和尚の旅日記

寺院の興亡、この一点にあり

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 昨晩、出入りの大工さんにお越し願って本堂の隅の柱を見てもらった。サッシュのクレセント錠が掛からなくなっていたので、用心が悪いので、自分でも悪戦苦闘してみたのだが、ついにお手上げということで、専門家に見てもらった次第。

 柱が都合三センチも下がっている。漆喰壁の膨らみや柱の根本の腐れなどで、原因が明確になった。離れてみると確かに目見当でも明らかに隅の柱が下がっている。大事にならなければ良いが、どうやら重症である。雨の時に柱の横の雨樋を見てくださいと言われた。樋から雨水が漏れて、そこから柱の腐朽が進んだのかもしれない。

 このお寺もおそらくは明治以前、江戸時代後期の再建であろう。お寺は一度大火に見舞われて全焼したらしい。過日区長さんから聞いた。200年は経っていると思われるが、区長さんの話ではある住職の不祥事だと伝わっているという。縁起でもない。お寺にとって、火の不始末は致命傷である。大変どころではない。身の毛もよだつとはこのことだ。想像したくもないが、肝に銘じたい。用心に越したことはない。

 火災以外にも地震や風水害という自然災害の恐れがある。寺の者や来訪者のタバコの火の不始末も考えられる。謂れなき悪意による放火も全然考えられないことでもあるまい。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというではないか。心配すればきりがないが、お寺の不在時に何かあったら大変である。逃げがきかないし逃げて済む問題ではない。深刻な問題である。

 これも区長さんに聞いた話だが、この寒村でこれだけの寺院や神社を護持していくだけでも大変なことであるのに、お寺を建て、お宮を建てたということは、当時において相当大変なことであったに違いない。個々の生活だけでも爪に火をともすような質素な生活の中で、こつこつと貯めたお金を出し合って建てたに違いないのである。そうした先祖先人の御恩を忘れてはならない。まことに胸に沁みるお話であった。

 寺院を開山するということは並大抵なことではない。それだけの土壌があったということである。ご開山の僧侶の資質、徳分ということもあるが、もっぱら熱心な檀信徒信者の力によるところ大である。これは樹木に例えるとわかりやすい。大木と成るまでには、土壌があって、水があって、太陽の光を受けて、風に乗って大木の種がやってこなければならない。ほとんどが苗木にもならない。若木に育っても成長するとは限らない。成長しても切り倒されるかもしれない。それまでに腐ってしまうこともあるだろう。大木になるというのは条件が重なったというだけではない。大木自身の生命力が最も肝心なのだ。

 寺院が続いていくのは、この生命力に尽きる。寺院の生命力は、お寺の命ということだ。お寺の命脈とは何か。仏法の道場ということだ。仏法は、理法を説くということによって続く。教えを伝える場が寺ということだ。建物そのものではない。庭でもない。仏像でも法具でもない。仏法僧という。これは三宝といわれている。宝中の宝なのである。三宝一体の具現した姿が、お寺なのである。

 寺院の興亡は、まさにこの宝を有しているかどうかに尽きる。住職のいないお寺は、衰亡していく。だめな住職の住んでいるお寺は衰亡していく。当り前ではないか。お寺を風景にすれば良いというものではない。単なる文化財ではないのである。柱一本にも先人の篤い思いが、研ぎ澄まされた志が息づいている。軽いものではない。軽い私が言うのだから間違いない。

 

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