軽トラ和尚の旅日記

軽トラの荷台に坐禅堂を積んで走る禅僧の修行

軽トラ和尚の旅日記

坊主に髪型があるという不思議

今週のお題「髪型」

 はてなブログのお題らしいが、坊主の私に対するお題としては頗る難題である。そもそも坊さんというものは、文字通り坊主頭であることは言うまでもないが、それを言ったらオシマイで話にもならない。ところが浄土真宗の僧侶の皆さまの多くは有髪(うはつ)である。その方々は決まってキチンとした?髪型なので、ブログのネタにするには余りにも恐れ多い。そこで本当に坊主には髪型というものが無いのかということを考えてみたい。

 じつはこれが有るのである。どだいお釈迦様の髪型をご存知であろうか。もっとも実際のブッダは剃髪をされていたらしいのだが、お釈迦様の仏像の頭は、青い螺髪という髪型なのだ。これは仏の「三十二相」という伝承から仏師は形作るのだが、髪型かいうと正解ではない。そういう風に見えるということである。もっともブッダが髪型を気にしているということはさらさらない。まあこれ以上は不謹慎以外の何ものでもないので止めておく。

 何が言いたいかというと、スキンヘッド自体が髪型の一つであるという紛れもない事実だ。髪を剃ってしまうという発想は、ゼロの発見に等しい。ついでに申し上げるとゼロの発見はインドらしい。ゼロという概念は大昔には無かったのである。いくらスキンヘッドにしても髪は有る。もちろん生えない状態、つまり禿頭は髪型とは呼ばないだろうが、定期的に剃髪することは立派な髪型なのである。髪をゼロにするという髪型、尼さんの頭を思い浮かべてほしい。ある意味カッコイイではないか。

 道元禅師さまは「髪を剃り、また髪を剃る」と言われた。常にリセットしなさいという単純な意味もあろうが、髪が伸びてくるということにも「無常」を思えということではなかろうか。剃り残しの無いように、常に気をつけて、さっぱりする。清潔にしておく。よく聞かれることだが、どうやって剃っているんですか、と。むろんカミソリを使って自分で剃る人が多い。本当は坊さん同士で剃り合いしたり、師匠の髪を弟子が剃ったりするものなのだが、今はほとんどの坊さんが自分で剃っている。

 不思議なのは、ひげ剃りと同じで、髪が伸びてくると鬱陶しく感じるということだ。最近若い人にスキンヘッドが多い。あれは坊主頭とは言わないだろう。五厘刈りぐらいまでのバリカンで刈るのはやはり坊主頭と呼んでいる。そんな面倒なことをするぐらいなら、いっそ剃ってしまえばいいのにとよく思ったりする。剃ってから五日も経てばスキンヘッドからいわゆる丸刈り状態になる。この間の変化を楽しんでいるわけではないが、髪型の変化と同じで、微妙に人相が変わるのだ。4と9のつく日を四九日(しくにち)といって髪を剃る日に当てている。もちろん法要や法事のときには剃髪する。これはもう立派な髪型である。やはり坊主もしっかり髪型を気にしているのだ。

©2017 shodoh_yamada.All rights reserved.